馬と私たち

馬と私たち

今から約5000年前、人はそれまで狩猟の対象だった馬を家畜として飼うようになりました。初めは食料として飼われていましたが、早く走る能力や持久力、人の意図するように動くことのできるコミュニケーション能力から、社会の中で様々な役割を担うようになりました。車を引く、人を乗せる、土を耕すなど内燃機関ができるまでは、馬は社会に欠かせない存在だったのです。

明治の初頭には、日本にも100万頭を超える馬が人々の生活を支えていたのでした。

 

馬は人の感情がわかる

馬は仲間同士で群れをつくって暮らす動物です。馬は仲間の表情や声で表現される感情を読み取るなど、高いコミュニケーション能力を持っています。

人の表情と声を関連付けて感情を読み取れると分かっていた動物はイヌのみでした。2018年の他移動大学の瀧本彩加准教授らの研究により、馬は自身と親しい人だけに限らず、人の表情と声を関連付けて読み取ることが明らかになりました。約5500年に渡り家畜化され、人とともに暮らしてきた馬は、単なる家畜としての役割にとどまらず、犬と同様に、人と親密な関係を築いてきたのです。

 

日本に馬がやってきた

もともと、日本には馬はいませんでした。3世紀頃の日本を伝える『魏志倭人伝』は、日本の様子として「牛、馬、虎、豹、羊、鵲がいなかった」と伝えています。邪馬台国の頃の日本には、馬は根付いていなかったのです。

その後、4世紀末頃に、朝鮮半島から馬が伝わってきたと考えられています。それを裏付けるものとして、古墳時代中期の遺跡から、馬の骨や歯、鞍や鐙などの馬具、馬の埴輪が出土しています。

その後の飛鳥時代を見てみると、皆さんもご存知の聖徳太子は厩戸皇子という名も持っています。聖徳太子とともに推古天皇の治世を支えたのは蘇我馬子。二人とも馬にちなんだ名を持っています。また、推古天皇の詠んだ歌の中に、素晴らしいものの例えとして「日向の駒」つまり九州の馬が出てきます。当時の馬と宮廷の関係の深さがうかがえます。

奈良時代に入ると、軍馬や荷運び用の馬などの供給のため、勅使牧、諸国牧など、朝廷によって管理される官牧が置かれるようになりました。そして、平安時代中期以降、律令制が緩み、牧の管理を各地の荘園主である貴族や豪族が管理するようになると、馬は農民にも浸透していきました。

 

日本の在来馬

明治に入ると、近代化の中で、より大きく力の強い馬の需要が高まりました。そして、それまで日本にいた馬は欧米から来た馬と交配され、改良が進められました。

そんな中、ごく一部の地域で、日本古来からの馬が、外来の馬と交雑することなく残っており、日本人が馬と共に生きていた証として、大切に育てられています。

日本固有の馬は「在来馬」と呼ばれ、現在8種類、道産子と呼ばれる北海道和種、木曽馬、野間馬、対州馬、御崎馬、与那国馬、トカラ馬、宮古馬が残っています。1000頭あまりいる道産子を除き、その多くは100頭に満たない数しかおらず、絶滅が危ぶまれています。

「日本に古くからいる馬は小さい」というのを聞いたことがある方も多いと思います。現在、よく目にするサラブレッドは背中までの高さが160cmほどあります。最も小さな在来馬である野間馬は、背中までの高さが100cmしかありません。

野間馬は愛媛県今治市の在来馬で、国の天然記念物にもなっています。江戸時代に、農家が育てた馬のうち体高が高いものは藩が買い取り、体高の低い小さな馬を農家に払い下げてゆく中で、体の小さな野間馬ができたのではないかと言われています。

野間馬は大人しい性格で、丈夫でよく働くことから、荷物の運搬や田や畑を耕す農耕馬として使われていたそうです。しかし昭和に入り、農業機械や自動車の普及によりその数は年々減少し、全国でも6頭しかいなくなりました。地域の人たちの努力により、現在では52頭が大切に育てられています。

 

引退競走馬の問題

現在、日本には7万8000頭の馬が飼養されています。その多くはサラブレッドです。

毎年7000頭から8000頭のサラブレッドが産まれており、日本はアメリカ、オーストラリア、アイルランドに次いで大きなサラブレッドの生産国となっています。

現代において、サラブレッドの活用といえば競馬。日本は世界有数の競馬大国でもあります。

実績においても、海外の馬たちに引けを取らず、例えば国際G1であるドバイシーマクラシックでは、2022年シャフリヤール、2023年イクイノックスと2年連続で日本のサラブレッドが制しました。

私たちに夢を与えてくれるサラブレッドたちですが、1年間に中央競馬の場合は5302頭(令和2年)が、地方競馬の場合は4702頭(令和2年)が競走馬としての登録を取り消されています。

それぞれの馬たちのいく先として、中央競馬の場合は、3498頭が地方競馬の転入、877頭が乗馬とされています。地方競馬の場合は1596頭が乗馬になるとされています。

中央競馬から地方競馬に転入するとされた馬のうち、登録を受けてから、1年以上地方競馬の競走に出走しなかったことから地方競馬の登録を取り消された馬は1340頭いました。中央競馬から地方競馬に転入するとされた馬のうち、三分の一以上が実際には地方競馬で走ること無く競走馬としての登録を取り消されていたのです。

引退後、乗馬になるとされた馬についても、日本では乗馬人口はそれほど多くなく、引き取られた馬が肥育場を経て食用などとして処分されているケースもあります。さらに、乗馬として第二の道を歩んだとしても、高齢や怪我で走れなくなったら、処分されてしまいます。

引退競走馬のほとんどが、天寿を全うすることなく、処分されているという現実があります。

 

馬と人との新しい関係を求めて

今、引退競走馬の第二,第三の馬生を支援する取組みが広まりつつあります。

競走馬はレースに勝つことだけを目的として、トレーニングを積んでいます。速く走れるようにと産まれた時から調教されているため、乗馬に必要なゆっくり歩いたり、ゆったり走ったりすることのできない馬もいます。そこで、引退競走馬たちに乗馬としての基礎などを改めて教えるリトレーニングを行い、その馬に適した第二の馬生の場所とマッチングさせるという試みがあります。

馬の新しい活用として、ホース・トレッキングやホースセラピーなど、馬の持つ「癒し」の効果に着目した取組みもあります。馬は群れで行動するため、コミュニケーション能力が高く、人の感情を読み取ることもできます。心理的に大きなダメージを負った時に馬と触れ合うと、自分と向き合ってくれる、自分にお世話をさせてくれる、仲間として受け入れてもらえるといった体験を通じて、自分を肯定できるようなります。ストレスの多い現代社会、多くの人が心身の不調に悩んでいます。馬と触れ合い癒されるというストレス解消方法が広がれば、現代ならではの馬との共生のあり方が見えてくるかもしれません。

引退競走馬が第二、第三の馬生を過ごす場所として、高齢や怪我などで走ることのできなくなった馬が余生を過ごすことのできる、人間で言うところの老人ホームのような養老牧場も、各地にできています。養老牧場では、様々な役目から解放された馬たちが、伸び伸びと過ごすことができます。

人は馬とともに5000年もの時を過ごしてきました。日本においても、数十年前までは、農村部を中心に、馬がいるのが当たり前の風景が広がっていました。

残念ながら、現状では、全てのサラブレッドが天寿を全うする社会は現実的ではありません。しかし、様々な馬の可能性が模索されている中で、馬との新たな共生のあり方を見出せるのではないかと期待しています。