団体が始まったきっかけや活動への思いを生の声でお届けすべく、助成先団体の代表者の方へお話を伺うShall we KIFU?代表インタビュー。
第6回は、特定非営利活動法人みかんぐみの代表理事の 村 一浩 さんです。
みかんぐみは、医療的ケア児のご家族の孤独・孤立を防ぎ、地域と共に生活するためのサポートを行っています。大学卒業後、東京都の杉並区役所に福祉職として入庁され、定年退職後にみかんぐみに参画された村さんが「福祉」の世界で感じたことや、豊かな人生を送るカギとなるものについて伺いました!
学生時代の苦い思い出
村さんが「福祉」と出会ったのは何がきっかけだったのでしょうか?
大学生時代のアルバイトが、きっかけですね。学生時代色々なアルバイトをしましたが、そのうちの一つで、自閉症の子どものスポーツ教室のアルバイトに月1回程行っていました。単発のアルバイトで、自分の都合の良い時にできるという程度の動機でした。
ですが、あれ程の無力感を感じたアルバイトはありませんでした…。せっかく私のような大学生の兄ちゃんが遊び相手として来ているのに、声をかけても子どもは全く反応してくれないんです…。取り付く島のない感じでしたね…。
「アルバイトとして行ったのに、力になれなかったな、どうやったらこういう人たちと関われるのかな、楽しんでもらえるのかな」と、この経験はその後も心に引っかかっていましたね。そのうち就職の時期になり、縁あって杉並区役所に福祉職で入庁しました。1980年頃で、ちょうど福祉の拡充が求められた「高齢社会」に向っていく時期でもありました。
福祉業界が改善する中で残された、医ケア児問題
就職後の配属先は、大学時代のアルバイトで出会ったような方々がいる障がい者施設でした。利用者に施設の規律を守らせることが仕事で、入庁したての20代の若造が、自分の親位の年齢の方々に「時間を守りなさい」とか「あれやったら駄目!」とか、終日管理したり注意したりする日々でしたね。
今振り返ると、当時の業界は「利用者は何を感じているのか、どうしたいのか」という目線があまりなく、障がい者の「人権」という考え方がとても薄かったと思います。
自分が入庁した頃、1981年に国連が「国際障がい者年」を定め、ようやく世界的に障がい者の人権を考え始めたという時代でした。
ほんの数十年前まで、そういう時代だったんですね。
それに当時は、家族の負担が今以上にとても大きかったですね。自分がこの業界で働いてきた間、環境は大きく改善したと思いますが、退職する時でもまだ環境が整っていなかったのが「医ケア児」関連でした。医ケア児は圧倒的に当事者が少ないため、対策が遅れがちだったのです。
もう少しやれることはないかなと考えていた時に、現在みかんぐみの副理事の荻野さんに誘われて、退職と同時にみかんぐみの活動に参画することになりました。
定年退職してから気が付いた大切なこと
みかんぐみに携わるようになってから、感じたことや発見はありますか?
そうですね、役所で働いていた頃、自分が「当事者の声」を活かせていなかったということを改めて感じました。働いていた間、より良い住民サービスを作る為に当事者の声をしっかりと聞いてきたつもりでしたが、今振り返るとできていなかったんですよね。
なぜそのように感じたのでしょうか?
課題や困りごとを整理し、役所の窓口にまでたどり着き、要望を出せるのは当事者のうちごく一部です。また、役所で新しいサービスを企画するにあたって住民へヒアリングするような場合、当事者団体の「代表」にインタビューするだけ、というケースも多かったですね。そうすると、「家族が大変そうだな」ということは分かっても、一人ひとりがどのように困っているのか、リアルな声は掴み切れません。「自分事」にできていなかったんですよね。
みかんぐみの活動に参加し、当事者と接点を持つようになってから、サービスにつながることもできない、声すらあげられない孤独・孤立という辛い状態にあるご家族が沢山いるということを初めて知りました。
役所の人は、昼間会議なんてしてる場合じゃないですよね。当時、外の人達との接点は夜の飲み会くらいでしたよ。当事者のご家族は、夜飲み会なんて来ないですよね。狭い世界でやっていたんだな、と思います。仕事を辞めて初めて分かりました。
当事者の声ほど貴重なものはありません。しかし、要望を出すだけでなく「当事者の私たちの力があればこういうことができる。だから一緒に改善しませんか?」と役所に提案することも大事です。みかんぐみも当事者団体として、これからも色々と取り組んでいきたいと思っています。
価値観を変えた、音楽の力
ところで村さんは、バンド活動もされていると伺いました。
はい、働いていた当時、施設では週に1回のレクリエーションの時間がありました。ある時音楽会を開催した際、とても楽しそうに喜んで過ごす利用者がいたんですよ。今の若者がライブに行って楽しむのと同じですよね。それを見て強く感じたのは、「規則や時間を守るのも大事だけど、真に大事なのは『一人ひとりの人生をいかに豊かにするか』ではないか」ということです。
それから、一般の人たちが土日に余暇を楽しむように、障がいのある人たちも楽しい余暇を過ごせるようなイベントを、土日に開催するようになりました。音楽会の他、高円寺の阿波踊りに障がい者連を作ったり、学芸会のような形で参加してもらったりする機会を作り、楽しんでもらいました。
それぞれの施設が工夫しながらやっていたのですが、障がい者の人達にもっと音楽を楽しんでもらおうと考え、
2000年に杉並区内にある障がい者施設に勤める職員でバンドを結成しました。それが、ヴィレッジセブン(V7)です。
20年以上も続いているんですね!バンド名の由来は何ですか?
メンバーの立ち上げの中心になったのが、私「村」と「村瀬」という2名で、苗字に「村」が付くメンバーだったので、そこから「ヴィレッジセブン(V7)」としました。40名近くの熱い固定ファンもいるんですよ。
40人も!すごいですね。
施設等を訪問して演奏する他、年に2回単独ライブを行うのですが、コンサートは必ず3連休の中日にしています。連休で家族と過ごす時間が長いと、辛い人もいるんですよね。中日にコンサートに来て、音楽を楽しんで、気分転換をしてもらえたらなと思っています。
大勢の観客で盛り上がるヴィレッジセブンのライブの様子(左から3番目が村さん)
自分が豊かでないと、相手を豊かにできない
福祉業界は時代とともに変わってきたとのことでしたが、課題を挙げるとしたらどのようなことがありますか?
福祉関連の資格は国家資格になり、制度が整備されるにつれマニュアル化やパッケージ化される部分も増えてきました。もちろん良い点もありますが、計画を作ってその通りにやるだけではうまくいきません。一人ひとりに意思がありますし、ましてや障がい者の中には自分の意思をうまく表現することが難しい人も多いです。
彼らを支援する職員が夜遅くまで職場に残って働き詰めで、自分の人生を楽しめていなかったら、「相手の人生がどうやったら楽しくなるのか」を考えて支援するのは難しいですよね。ライブに行くとか美術館に行くとか、推しを極めるとか、自分の感情を揺さぶられるような豊かな経験があってこそ、相手を豊かにする支援ができるのではないでしょうか。
「自立とは」「社会参加とは」等、教科書に書かれた定義を分かっているだけでは駄目なんです。支援する側が、相手の立場を「自分事」として考えられる「感性」を磨いていかなければいけないと感じています。
村さんの「こんな社会を作りたい!」
最後に、村さんの「こんな社会を作りたい!」を教えてください。
そうですね、人生をクローズする時に、楽しかったな、と思える社会ですね。それには、楽しいと思うことに関わり続けることが大切だと思っています。
在職中に発達障害の学齢期の子どもを支援するために、小学校低学年の子ども100名近くの話を聞いたことがありました。才能豊かな子ども達が沢山いましたよ。同級生とは上手くいかないけど、絵や音楽、小説の才能があったり。
これは小学校の校長先生に聞いた話なのですが、ある学校になじめない生徒に「何をやってたら楽しいの?」と聞いたら、「バックギャモン(※)にはまっている」と答えたので、「じゃあ、バックギャモン部のある中学校を探してそこに進学しよう!」と提案したところ、頑張って勉強し、バックギャモン部のある私立中学校に見事合格。今はとても生き生きと過ごしているそうです。※歴史のあるボードゲーム。世界大会もある。
社会生活で苦労があっても、鉄道や植物、ゲーム等、楽しみを持って好きなことから離れなければ、それが支えとなって生きていける。それをダメと言われると、心のよりどころがなく途中で潰れてしまう。楽しいことをやらずに我慢し続けるって辛いですよね。楽しいことを追及できないと豊かに生きられない。
それって、障がいがあってもなくても、一緒ですよね。
本当にそうですね。自分の「楽しいこと」を経験し大切にするからこそ、他人の「楽しいこと」も大切にできる。そういう人が増えたら社会全体が豊かになっていくのではないかと、お話を伺って感じました。本日は、貴重なお話をありがとうございました!
**編集後記**
村さんとの会話の中で、「自分が働き始めた頃から、日本はバブル経済に突入していきました。皆ジュリアナ東京で踊っていましたよ。」というお話がありました。民間企業でずっと働いてきた私の社会人人生の中で、バブルの時代をいかに楽しんだかという上司や先輩の話は何度も聞きましたが、その頃福祉の世界がどのような状況だったかという話を聞いたのは今回が初めてで、大変な学びになりました。バブルははじけ数十年経ち、未だに先行き不透明な時代ではありますが、楽しいことや好きなことを大切にするという、意外と身近なことの実践が、明るい未来を築いていくきっかけになるのかもしれません。(お金をまわそう基金 田川)