
2025年8月。「台風9号は日本列島の太平洋沿岸を通過…」という天気予報を聞きながら、東北新幹線に乗り込みました。
福島県飯舘村。2011年3月11日、福島第一原発の事故の影響により、すべての住民が避難を余儀なくされた村です。美しい山々や大切な田畑、住んでいた家屋まで、放射能汚染によって近づくことを許されない場所となりました。
全村避難から6年後に一部の地域を除く地区の避難指示が解除されました。しかし、帰村が叶っても、原発事故以前の暮らしに戻れるわけではありませんでした。避難による担い手の急激な減少と放射能の影響とで、かつて水稲や花き、畜産などに力を入れてきた村の産業は衰退し、多くの農地が耕作放棄地になっていました。
2019年に村議会議員の佐藤健太さんとウルシネクストが、農作物に代わる新たな産業育成として漆の産地化を検討し、村内の耕作放棄地3か所でウルシ苗600本を植樹しました。手探りで始めた試験栽培です。
3年ぶりの飯舘村
ウルシネクストの佐々木さんが運転してくださる車で、福島駅から飯舘村に向かいます。飯舘村には2022年5月以来、約3年ぶりの訪問となります。久しぶりに佐藤さんと当時はまだ小さかったウルシたちに会えるのが楽しみです。
この日は大雨。空の様子を気にしながら、車窓から畑や田んぼを眺めます。震災から14年余り、息を吹き返し始めた休耕地が見えます。飼料用米の稲や高原野菜、そして牧草が豊かな緑を湛えています。標高450mの平和な飯舘村の風景です。
一昨年まで帰還困難区域に指定されていた飯舘村長泥地区の田んぼで、今年の春、震災後初めて出荷に向けた田植えが行われました。実に14年ぶりの営農再開です。避難指示解除の直後から試験栽培などを行ってきた結果、収穫した農作物の放射性セシウム濃度は基準値を大幅に下回っており、米の安全性にも問題ないことが確認できたとして、今年から出荷に向けた米づくりが再開しました。すでに市場に出ている他の地区の農作物同様、長泥地区の美味しいお米や野菜が出荷される日が楽しみです。
帰農する村民だけでなく、農業や酪農を目指す若い世代の移住も増えている飯舘村。厳しい状況ではありつつも、復興は明るい方向に着実に進んでいるように感じました。
ウルシたちの成長
ウルシ畑が見えたところで、唐突に雨が上がりました。ウルシたちは、なんと3mほどの高さに成長していました。佐藤さんや佐々木さんたちが、ある程度育ったウルシ苗を会津若松や神奈川県秦野市に移植するなどして生育環境を整備しながら育ててきたウルシです。
雨でぬかるんだ土に足を取られながらウルシに近づいてみます。植えたときは棒切れのようだった苗が立派に育ち、方々に伸ばした枝には艶やかな葉が生い茂っています。日当たりが良く獣害もない飯舘村の畑は、ウルシの生育にとても良い環境なのです。
ただ、木の高さに比べて幹が細いように感じます。木と木の間が狭くて太くなれないのでしょうか。それとも、ウルシの木は、まず上へ、それから横へと成長するのでしょうか。
ウルシの木から樹液が採取できるようになるまでには15年ほどかかると言われています。これから幹が太くたくましく育っていくことを願うばかりです。
まだ雲は低く垂れこめていますが、せっかく雨が上がったので、佐藤さんと佐々木さんに相談して作業のお手伝いをさせていただくことにしました。
ウルシ畑には生命力旺盛な雑草がみっしりと繁茂しています。本当は草刈りができると良かったのですが、地面のぬかるみがひどく草刈機を入れられないので断念。
今回はすでに草刈りをしてあった場所の石の除去作業のお手伝いをします。緩いぬかるみにうっかり足を取られると、ずぶずぶと沈んで動けなくなるので、ゆっくり慎重に歩きながら石を探します。
拾った石は軽トラックの荷台に運ぶのですが、この往復が地味に体力を奪います。でも、これがウルシの生育環境を良くするための作業(がしやすくなる作業)だと思うと、どんな小さな石でも拾いたくなります。
時折、雨がざぁっと通り過ぎます。そんなときは畑の隅にあるビニールハウスの中の雑草取りをします。
このビニールハウスはウルシの産地化の一環で、種を発芽させ苗を育てる場所として建てたもの。いまは優良な苗が入手できるので作業には使っていません。ただ、今後は何かの形で活用していきたいと佐藤さんは言います。
未来への道のり
こうしてウルシ畑での作業は終了。泥だらけの靴や服をきれいにするため、佐藤さんのお宅にお邪魔しました。
太い梁、高い天井、広い廊下、風通しの良い大きなお部屋。この家は佐藤さんのお父様が福島第一原発事故の少し前に建てられたのだそうです。お父様のこだわりが詰まった家ですから、愛着もひとしおだったことでしょう。避難命令が出ても、お父様は家を離れようとしなかったそうです。
飯舘村で生まれて、飯舘村で生涯を過ごすつもりだったお父様。突然「村を離れろ」と言われるのは、理不尽この上ないことだったに違いありません。震災にまつわる佐藤さんご一家の歴史をずっと見守ってきたこの家は、お父様の幸せや喜びと一緒に、悲しみや悔しさも包み込んで静かに立っています。
佐藤さんのお宅を出ると青空が広がっていました。台風の雲は遠くにいったようなので、他のウルシ畑も見せていただくことにしました。
村民の方から耕作放棄地を提供していただいて植樹をしたウルシ畑。木々が鬱蒼と繁る森の前で、ウルシたちが精一杯背伸びをしているようです。
こちらのウルシたちもまだ幹は細いまま。枝同士が重なり合うほどの近さなので、大きくなるのを遠慮しているのかもしれません。これから間引きなどを検討して、さらに生育環境を改善していきたいと、佐藤さんと佐々木さんは話すのでした。
植樹から6年が経過したウルシたち。2026年度には無作為に選んだウルシから樹液を採取し、放射性セシウム濃度検査をしたいと考えています。農作物は基準値を大幅に下回っていましたが、木の中で蓄積された樹液も同じような結果になるのか気になるところです。
産地化までにはまだまだ遠い道のりのウルシ。それでも、ひとつひとつ課題を解決していけば、いつかはたどり着けるはずです。飯舘村の方々に喜んでいただける産業にすることが、佐藤さんやウルシネクストの目指す未来なのです。
夏の日差しが傾いてきました。「までい館」に立ち寄って福島の桃を購入したら、そろそろ福島駅に向かう時間です。
飯舘村から運ばれた漆が文化財や工芸品を彩る日が来ることを心から願いながら、この美しい村を後にしたのでした。