「モモ」に出てくる「時は金なり」


時は金なり

多くの国で翻訳され、多くの人に読まれてきた「モモ」という物語。
つい最近では、『児童書「モモ」はデキる大人の心にこそ刺さる』や『「大人に読んでもらいたい」おすすめ絵本10選』として取り上げられています。働くことの意味、お金を稼ぐこと、生き方などいままでの生き方や経験・体験を経て「社会人」になった人が「モモ」を読み直すことで、子どもの頃に感じたワクワク・ファンタジー物語がまったく違ったお話に思えてくるから面白いものです。

ストーリーは、極めてシンプル。
みんなの『時間』を盗んだ灰色の男たちから、モモが時間を取り返す というお話です。副題「時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語」そのままです(笑)。

「時は金なり」と言った灰色の男たち

お話の中で登場する悪役は「灰色の男たち」。

「人生でだいじなことはひとつしかない」と男はつづけました。 「それは、なにかに成功すること、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れることだ。ほかの人より成功し、えらくなり、金持ちになった人間には、そのほかのもの──友情だの、愛だの、名誉だの、そんなものはなにもかも、ひとりでに集まってくるものだ。」 モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)より

「時は金なり」と唱えて、人々の「ゆとりある時間」を「時間銀行」に預けて、 時間を貯蓄し、将来に備えさせる。町の人たちは、休みなく働くようになり、仕事に対する愛情よりも効率を重視し、両親が仕事で忙しくなったため、子どもたちの面倒を見てくれる大人が居なくなり、子供たちは施設に入れられて育てられる。

どうでしょうか?
たった数行のあらすじだけでも『現代』を風刺しているように思えてくるのではないでしょうか。

灰色の男たちは 何?

 

お金が悪い

灰色の男たちの正体は?

人々の時間を奪っていく「灰色の男たち」。
この灰色の男たちは、効率を求めたビジネスマンやお金が大切な哀れな大人、資本主義の具現化?などと捉えられたりと様々ですが、自分は「お金そのもの」もしくは「お金でお金を生む富裕層」なのではないか、と。ミヒャエル・エンデの遺言─根源からお金を問うこと (講談社+α文庫)の中には

「どう考えてもおかしいのは資本主義体制下の金融システムではないでしょうか。人間が生きていくことの全て、つまり個人の価値観から世界像まで、経済活動と結びつかないものはありません。問題の根源はお金にあるのです。」─ミヒャエル・エンデの遺言─根源からお金を問うこと (講談社+α文庫)

灰色の男の正体は明かされません。

エンデの遺言と併せて「モモ」を読むことで、それぞれの人がしっかりと「いまのお金」と向き合う必要があるのではないかなと感じます。最後に、灰色の男たちの言葉を引用しておきます。「モモ」は書籍、電子書籍の他にも映画化されているので、週末にでもゆっくりとのんびり鑑賞してみてください 🙂

なにもかも灰色で、どうでもよくなり、世の中はすっかりとおのいてしまって、じぶんにはなんのかかわりもないと思えてくる。怒ることもなければ、感激することもなく、よろこぶことも悲しむこともできなくなり、笑うことも泣くこともわすれてしまう。そうなると心の中はひえきって、もう人も物もいっさい愛することができない。ここまでくると、もう病気は治る見こみがない。あとにもどることはできないのだよ。うつろな灰色の顔をしてせかせか動きまわるばかりで、灰色の男とそっくりになってしまう。そうだよ、こうなったらもう灰色の男そのものだよ。この病気の名前はね、致死的退屈症というのだ。モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)より

かたおか
お金をまわそう基金では、子ども支援分野を担当しています。Webや紙のクリエイティブ制作やマーケティングをやっています。好きな食べ物はサラミです。お手柔らかに よろしくお願いいたします。

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